この記事の結論(3行要約)
- マイルの正体は「負債」:航空会社の貸借対照表において、未消化のマイルは「契約負債」として計上される、返済義務のある借金です。
- 改悪のメカニズム:マイルの価値を下げる(特典航空券の必要マイル数を上げる)ことは、航空会社にとって「借金の棒引き(徳政令)」と同じ財務効果を持ちます。
- インフレの必然性:両社合わせて約8,500億円もの負債を抱える現在、今後も財務健全化のためにマイルの価値希釈(インフレ)が続くことは、資本主義の理(ことわり)として避けられません。
「またANAが改悪した」「JALのマイル数が上がった」
マイラーたちは変更のたびに嘆きますが、航空会社に対する怒りをぶつける前に、少し視点を変えてみましょう。
もしあなたが航空会社のCFO(最高財務責任者)だったら、どうするでしょうか?
顧客満足度は大事です。しかし、会社の存続はもっと大事です。
この記事では、感情論を排し、冷徹な「財務諸表(Balance Sheet)」の数字から、なぜマイルの改悪が繰り返されるのか、その構造的な要因を解き明かします。
思考実験:マイルはどこに消えるのか?

あなたが100円の買い物をして1マイルをもらった時、その1マイルの原資は誰が負担しているのでしょうか?
多くの場合、カード会社(加盟店)が航空会社からマイルを「購入」し、あなたに付与しています。
航空会社側から見ると、これは以下のような取引になります。
- 現金が入ってくる(売上)
- しかし、まだサービス(フライト)は提供していない(義務)
会計上、この「将来サービスを提供する義務」は、売上ではなく「負債」として計上されます。
つまり、あなたの持っている1万マイルは、航空会社にとっては「いつか無料で乗せなければならない」という重たい借用証書なのです。
この連載「マイレージ社会学」では、そんな夢を賢く叶えるための、少しシニカルな透視図をまとめています。
リアルデータ検証:2社で「8,500億円」の重圧
では、実際の数字を見てみましょう。
ANAホールディングスと日本航空(JAL)の2024年3月期決算資料(有価証券報告書等)を確認すると、両社とも巨額の「借金」を抱えていることが分かります。
決算書における「契約負債(Contract Liabilities)」
- ANA: 約4,140億円(+205億円増)
- JAL: 約4,379億円(IFRS連結財政状態計算書より)
合計:約8,500億円。
この「契約負債」とは、「お客様からお金(またはマイルの権利)を受け取ったが、まだフライトを提供していない分」の総額です。
ここには「先の予約が入っている航空券代」も含まれますが、会計専門家の一般的な見立てでは、このうちの相当な割合(推定4,000〜5,000億円規模)が「未消化マイルの引当金」であると考えられます。
JALの方が負債が大きく見えるのは、IFRS(国際会計基準)を採用しており、マイレージプログラムの評価をより厳格に行っている(将来の利用を見込んで負債計上している)ためとも推測されますが、いずれにせよ両社にとって「マイルは巨大な借金」である事実に変わりはありません。
IFRS 15号と「Breakage(失効益)」の甘い罠
少し専門的な話をします。会計基準「IFRS 15(顧客との契約から生じる収益)」では、マイルの取り扱いについて興味深いルールがあります。
航空会社は、マイルが使われた時に初めて売上を計上できます。しかし、実はもう一つ、売上が立つ瞬間があります。
それは「マイルが使われずに失効した時」です。
用語解説:Breakage(ブレッケージ)
Breakageとは、マイルやポイントが権利行使されずに失効することです。
航空会社等のロイヤリティプログラム運営企業は、過去のデータを元に「どうせ○%のポイントは使われずに消えるだろう」と予測を立てます。この「見込み失効分」については、なんと航空機を飛ばさなくても「収益」として計上できるのです。
つまり、航空会社の本音としては、「マイルを貯めるだけ貯めて、使うのを忘れて失効してくれる会員」が、原価ゼロで利益をもたらす最高のお客様なのです。
「フロート(Float)」ビジネスとしての航空会社
ウォーレン・バフェットが保険会社を好む理由は「フロート(浮き貸し)」が得られるからです。
保険会社は、先に保険料を受け取り、保険金を支払うまでの長い期間、その現金を無利息で運用できます。
マイレージも同じです。
航空会社は、カード会社から「マイル代金」を先に受け取っています。しかし、ユーザーがマイルを使う(特典航空券と交換する)のは数年後です。
この数年間、航空会社は手元の数百億円、数千億円というキャッシュを、金利ゼロで自由に使えるのです。
マイルとは、ユーザーから航空会社への「超長期・無利子融資」に他なりません。あなたがマイルを大切に貯めれば貯めるほど、航空会社の資金繰りは楽になり、逆にあなたの資産効率は悪化していきます。
フェルミ推定:インフレ率の証明
重要なのは残高そのものより「増え方」です。
ANAだけでも前年から200億円以上も負債が増えています。
これは何を意味するか?
- 通貨供給量(発行): ユーザーは熱心にマイルを貯めている。
- 消費量(利用): ユーザーは思ったほどマイルを使っていない(貯め込んでいる)。
負債が増え続けると、経営健全性が損なわれます。
CFOが考えることは一つです。
「負債を減らせ(=マイルを使わせろ、あるいは価値を下げろ)」
改悪(Devaluation)は「徳政令」である

借金を減らす方法は2つしかありません。
- 真面目に返す: 座席枠を大量に開放し、どんどん乗ってもらう。(→売上機会の損失になるので嫌がる)
- 借金を踏み倒す: 通貨の価値を変える。(→これが「改悪」)
例えば、「ハワイ往復4万マイル」を「5万マイル」に変更したとします。
すると、会計上は「負債の額面」を一瞬で20%削減できます。
何もせずに、数百億円規模の利益改善効果(コスト削減)が生まれるのです。
これを歴史用語で「徳政令」と呼びます。
ユーザーにとっては暴挙ですが、株主にとっては「英断」です。
航空会社が営利企業である以上、マイルの価値は「長期的には必ず下がる(インフレする)」ようにプログラムされているのです。これは悪意ではなく、資本主義のバグ修正機能です。
結論:CFOに勝つ方法は「即時決済」のみ
相手は8,500億円の負債をコントロールする金融のプロです。
彼らが「徳政令(改悪)」を出すタイミングを、私たち平民が予測することは不可能です。
唯一の対抗策は、「彼らがルールを変える前に、権利を行使する」ことです。
貯め込むことは、彼らに「借金の踏み倒しチャンス」を与えているのと同じです。
私たちがマイルを貯めるほど、彼らの借金は増えていく。
この構造を知れば、改悪が「悪意」ではなく「生存本能」であることがわかるはずです。
さて、次回はそんな航空会社の中でも「異端児」と呼ばれるデルタ航空の話です。
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