【マイルの歴史Vol.1】なぜ航空会社は「無料」で特典航空券を配るのか?起源とSABREの物語



1980年代の空港とSABREシステムを描いたレトロフューチャーなイメージ
1981年、全てはここから始まった。

はじめに:なぜ僕らは「マイル」に熱狂するのか?

「タダでハワイに行ける」
その甘い言葉に誘われて、僕らはせっせとカードを切り、ポイントを貯める。
コンビニで100円のコーヒーを買うときも、どのカードを使えば1マイル多く貯まるかを瞬時に計算する。
傍から見れば、それはもはや宗教的な儀式だ。

しかし、冷静に考えてほしい。
なぜ航空会社は、本来なら数万円、ビジネスクラスなら数十万円もする高額なチケットを「無料(特典航空券)」でばら撒くのか?
企業の善意か? それとも罠か?

答えはシンプルだ。
マイルとは、航空会社が発明した「史上最も成功したロイヤリティプログラム」だからだ。

この連載(全6回)では、マイルという巨大なシステムの裏側を、ITエンジニア(と、映画マニア)の視点から解剖していく。
これは「お得な貯め方」のガイドブックではない。
なぜ僕らがこれほどまでにポイントに支配され、自分の行動データ(プライバシー)を切り売りし、それでもなお空を見上げてしまうのか。
その社会学的な「歪み」の正体に迫るドキュメンタリーだ。

Vol.1のテーマは「起源(Origin)」
時計の針を1970年代のアメリカに戻そう。そこには、今の僕らの行動を全て設計した、天才たちの意図が隠されている。

規制緩和と競争激化:なぜ航空会社はマイルを発明したのか?

1978年、アメリカで「航空規制緩和法(Airline Deregulation Act)」が成立した。
これが全ての始まりであり、全ての元凶だ。

それまで、航空運賃は「公共料金」として政府(CAB)によって厳しく管理されていた。
「ニューヨーク〜ロサンゼルス間は片道300ドル」と国が決めていたため、航空会社は価格競争をする必要がなかった。
では、競合他社とどうやって戦ったか?
「豪華さ」だ。

当時のパンナム(Pan Am)やブラニフ航空の写真を見てほしい。
エコノミークラスでも豪華なステーキが陶器の皿で出され、機内には「ピアノバー」が設置されていた。
タキシードを着た紳士が、高度3万フィートでマティーニグラスを傾け、生演奏のピアノに耳を傾ける。
それは単なる移動手段ではなく、「空飛ぶ社交場」だった。
航空会社は「いかに豪華なサービスを提供するか」で競い合い、そのコストは高い運賃に転嫁されていた。

1970年代の航空機内(ファーストクラス)、豪華な食事と社交場の様子
「空飛ぶ社交場」だった時代の機内(イメージはSASのB747)

しかし、規制緩和によってパンドラの箱が開いた。
「サウスウエスト航空」のようなLCCの先駆けとなる格安航空会社が次々と参入し、運賃競争が勃発。
ニューヨーク〜ロサンゼルス間の運賃は、一夜にして半値以下になった。
当然、航空会社の利益は吹き飛んだ。
ピアノバーは撤去され、座席の足元は狭くなり、機内食はステーキから乾燥したサンドイッチへ、やがてピーナッツ一袋になった。

「安さ」だけでは勝てない(LCCには勝てない)。
かといって「豪華さ」を競えば赤字になる。
追い詰められたアメリカン航空(AA)の経営陣は、絶望の中で考えた。
「価格競争に巻き込まれず、客を自社に縛り付ける方法はないか?」
「一度ウチに乗った客が、二度と浮気できないような『鎖』はないか?」

そこで生まれたのが、AAdvantage(アドバンテージ)プログラムだ。
「飛行機に乗れば乗るほど、次のフライトがタダになる」というシンプルな仕組み。
これは単なる割引サービスではない。
「他社に乗ったら損をする(今まで貯めたポイントが無駄になる)」と思わせる、心理的な鎖(Lock-in)の偉大な発明だった。

SABREと予約システム:ITがもたらした「囲い込み」の起源

delta
デルタカード
デルタ スカイマイル アメックス 世界を軽やかに飛び回る人の、スマートな選択。デルタの空へ、一歩近づく準備を。 ...

マイル制度を可能にしたのは、裏側にある巨大なITシステムだ。
その名を「SABRE(セーバー)」という。

1980年代の巨大なメインフレームコンピュータとSABREのコード画面
世界を支配するアルゴリズムの誕生

元々はIBMとかつてのアメリカン航空が開発した、世界初のリアルタイム座席予約システムだ。
当初は単なる「空席管理ツール」だったが、彼らはこれを使って恐ろしいことに気づいた。

「顧客データを追跡(トラッキング)できる」

SABREは、誰がいつ、どこへ飛び、いくら払ったかを全て記録していた。
当時のコンピューターの処理能力は貧弱だったが、それでも「この乗客は年に20回乗るビジネスマンだ」「この乗客は年に1回しか乗らない学生だ」という区別がついた。
このデータベース(CRMの元祖)を分析することで、航空会社は顧客を「選別」し始めたのだ。

究極の差別:イールドマネジメント

SABREが生み出したもう一つの悪魔的発明が、「イールドマネジメント(収益管理)」だ。
同じエコノミークラスの隣同士の席でも、ある人は3万円で買い、ある人は10万円で買っている。
航空会社は「直前に予約するビジネスマン」からは高く取り、「半年前から予約する観光客」からは安く取ることで、1席あたりの収益を最大化した。

しかし、高く買わされたビジネスマンは不満を持つ。
「なんで俺はあいつの3倍も払わなきゃいけないんだ?」
そこで登場するのがマイルだ。

  • 優良顧客(Business): 高い運賃を払う。 → 「マイルとステータスを与え、チヤホヤしろ(承認欲求を満たす)」
  • 一般顧客(Leisure): 安い運賃で乗る。 → 「マイルはやるな。狭い席に詰め込め」

マイルとは、この冷酷な選別を行うための「識別タグ(Cookie)」だったのだ。
「マイレージ番号」というIDを客に付与することで、航空会社は客の行動を完全に把握し、差別を正当化した。

ITエンジニアの視点で見れば、マイルは世界で最初の、そして金融史上最も成功した「ゲーミフィケーション実装」である。
スコア(マイル)を与え、レベル(ステータス)を用意し、ユーザーの行動をコントロールする。
僕らは50年前から、巨大なメインフレームの手のひらで、SABREのアルゴリズムに従って踊らされているに過ぎない。

囚人のジレンマと上級会員:抜け出せない「ステータス」の罠

なぜマイルはこれほど強力なのか?
「タダで乗れるから」だけではない。
もっと根源的な、人間の「承認欲求(Status)」「損失回避性(Loss Aversion)」を巧みにハックしているからだ。

その象徴が「アドミラルズ・クラブ(Admirals Club)」だ。
1939年に世界で初めて作られた空港ラウンジ。
選ばれたVIPだけが入れるその扉の向こうには、喧騒から遮断された静寂と、無料のアルコールがある。
一度「上級会員」としてあの空間の味を知ると、人間は二度と騒がしい一般待合室には戻れない。

空港ロビー

これが「ステータスの罠」だ。
そして翌年。
「あと3回乗らないと、来年はラウンジに入れない」という状況になった時、人はどう動くか?
用もないのに飛行機に乗る(マイル修行)。
週末に羽田と那覇を2往復する。
これは経済合理性で言えば完全な「損失(無駄使い)」だ。しかし、ステータスを失うという「精神的な損失(プライドの失墜)」を避けるために、人は喜んで財布を開く。

プリンシパル=エージェント問題の悪用

さらに、航空会社は「プリンシパル=エージェント問題」という資本主義のバグをも利用した。

  • プリンシパル(依頼人): 出張費を払う「会社」
  • エージェント(代理人): 飛行機に乗る「社員」

例えば、東京からニューヨークへの出張を命じられたとする。
A社は15万円(マイルなし)。B社は20万円(マイルあり)。
会社としてはA社を選んでほしい。
しかし、チケットを手配する社員はこう考える。
「B社なら、自分のポケットに1万マイル(ハワイ旅行の一部)が入る…」

結果、社員は「スケジュールの都合で」などと適当な理由をつけて、高いB社を選ぶ。
会社にとっては損失(+5万円)だが、航空会社(売上増)と社員(マイル獲得)にとってはWin-Winだ。
この「会社公認の横領」とも言える構造こそが、マイルが世界中のビジネスマンに爆発的に普及した真の理由であり、航空会社が「高い運賃」を維持できたカラクリなのだ。

ネットワーク効果:なぜマイルは勝者総取りなのか?

マイルにはもう一つ、恐ろしい性質がある。
「貯めれば貯めるほど価値が上がる(逆も然り)」という性質だ。

1万マイルでは、1マイルの価値は「1円」程度(電子マネー交換など)にしかならない。
しかし、10万マイル貯めて国際線ビジネスクラスに乗れば、1マイルの価値は「5円〜10円」に跳ね上がる。
つまり、「一点集中」こそが正義なのだ。

「JALもANAもデルタも少しずつ」貯める人は、いつまで経っても「1マイル=1円」の世界から抜け出せない。
逆に、「JAL一筋」の人は、ステータスも上がり、ボーナスマイルも増え、より高いレートでマイルを使えるようになる。
これは「勝者総取り(Winner Takes All)」のゲームだ。

航空会社はこの数学的性質を知り尽くしている。
だからこそ、彼らは「アライアンス(ワンワールド、スターアライアンス)」を作り、世界規模で囲い込みを行う。
「一度選んだら、死ぬまでその陣営から出られない」。
これがマイルというゲームの基本ルールだ。

Data Box: 1981年 vs 2025年

項目1981年 (黎明期)2025年 (現在)変化の本質
市場規模ほぼゼロ約50兆円 (推定)巨大な「第二経済圏」の誕生
マイルの主役飛行機に乗る人 (Flyer)カードを使う人 (Shopper)移動から消費へ
航空券価格高い (規制価格)激安 (LCC・ダイナミック)サービスのコモディティ化
特典航空券空席だらけ争奪戦 (プラチナチケット)供給不足とインフレ
ステータス本物のVIPの証誰でも買える権利 (SFC/JGC)「上級国民」の大衆化

まとめ:歪みの起源

スクリーンショット 2025 11 04 9.48.50
ANAカード
ANAカード 旅の時間も、マイルも、あなたらしく積み重ねていく。ANAと歩む毎日を、今から始めませんか? A...

Vol.1の結論。
マイルとは、「競争から逃れたい航空会社」「特別扱いされたい顧客」「経費で私腹を肥やしたいビジネスマン」の利害が一致して生まれた、「第二の通貨」である。

それは単なるオマケではない。
70年の歴史の中で、高度に洗練された、僕らの脳をハックする「支配のプログラム」なのだ。
SABREという巨大なアルゴリズムが、僕らの「お得でありたい」「特別でありたい」という欲望を分析し、最適な餌(マイル)をばら撒く。
この構造は、現在のGoogleやFacebookの先駆けでもある。

では、この支配構造は今の時代、どう変貌したのか?
次回、Vol.2。
舞台は再び現在のアメリカへ。
航空会社がいつの間にか「運送会社」であることをやめ、「空飛ぶ銀行」に変貌し、マイルが「刷り出せる打ち出の小槌(不換紙幣)」になった金融の裏側を暴く。

コメント

タイトルとURLをコピーしました