
はじめに:2020年の「奇妙な生存」
2020年4月、世界は静止した。
新型コロナウイルスのパンデミックにより、世界中の空から飛行機が消えた日、我々は一つの巨大な産業の死を目撃するはずだった。
客足は前年比96%減。
ジャンボジェット1機を飛ばすのにかかる莫大な固定費(燃油、駐機料、人件費、機体リース料)を考えれば、航空会社など数ヶ月でキャッシュアウトして連鎖倒産するのが、資本主義の健全なルールだ。
しかし、デルタ、ユナイテッド、アメリカンといった米国の「ビッグ3」は生き残った。
なぜか?
政府の支援もあった。だが、それ以上に彼らを救ったのは、彼らが自社のバランスシートの奥底に隠し持っていた「ある無形の資産」だった。
飛行機でも、土地でも、ブランドでもない。
彼らがウォール街に差し出した担保。
それは、「マイレージプログラム(Loyalty Program)」そのものだった。
Vol.1ではマイルの歴史的起源を見たが、Vol.2ではその「化けの皮」が剥がれ、正体が露呈した瞬間を見ていく。
これはもはや航空業界の話ではない。現代資本主義が生んだ、最も成功した、そして最も歪んだ「錬金術(Alchemy)」のレポートだ。
資本主義のバグ:ユナイテッド航空と「逆転現象」の財務分析
2020年6月、資金繰りに窮したユナイテッド航空は、前代未聞のファイナンス手法を発表した。
自社のマイレージプログラム「マイレージプラス(MileagePlus)」を法的(形式的)に分社化し、それを担保に68億ドル(約1兆円)もの巨額資金をゴールドマン・サックスなどの金融団から借り入れたのだ。
この時、世界中の投資家がその「担保価値の査定額」を見て、コーヒーを吹き出した。
- ユナイテッド航空(親会社)の時価総額: 約90億ドル
- マイレージプラス(子会社)の査定額: 約220億ドル
耳を疑う数字だ。
「飛行機を数百機保有し、世界中に路線網を持ち、数万人の従業員を抱える航空会社本体」の価値よりも、「マイルというポイントデータを管理・発行する機能」の方が、2.5倍も価値があると評価されたのだ。

これはユナイテッドだけの珍事ではない。
同時期、アメリカン航空も同様の手法(AAdvantageプログラムの担保化)で政府から融資を引き出したが、その際のアナリストの試算では、AAdvantageの事業価値は最大370億ドルにも達すると言われた。当時のアメリカン航空本体の時価総額はわずか60億ドル程度だ。
親子関係が完全に逆転している。
実態としては、「巨大なポイント金融会社が、道楽で飛行機を飛ばしている」のが、現代のアメリカ系航空会社の正体だったのである。
彼らにとって、本業は「運送」ではない。「通貨発行」なのだ。
三店方式の錬金術:なぜマイルは「打出の小槌」なのか?

なぜ、たかがポイントプログラムに220億ドル(約3兆円)もの値がつくのか?
それは、彼らが事実上の「中央銀行」の機能を持っているからだ。
このビジネスモデルは、以下の「三者間のトレード」で成立している。
- 航空会社(発行体)
- クレジットカード会社(銀行)
- ユーザー(消費者)
まず、航空会社はマイルを「製造」する。製造原価はほぼゼロだ。データベース上の数字を増やすだけだからだ。
そして、それを提携カード会社(AmexやChase、Citiなど)に卸売りする。
この時の卸値は契約によるが、一般的に「1マイル = 1.5セント〜2.0セント」程度と言われている。
カード会社は、購入したマイルを「入会キャンペーン(10万マイルプレゼント!)」や「決済ポイント(100円で1マイル)」としてユーザーにばら撒く。
なぜそんなコストを払うのか?
「マイル」という強力な餌があれば、年会費5万円のカードでも、富裕層が喜んで契約してくれるからだ。彼らがカードを使えば使うほど、加盟店手数料(インターチェンジフィー)がカード会社に入り、その一部がマイル代金として航空会社に還流される。
黄金の「乗数効果(Multiplier)」
ここで魔法がかかる。
航空会社がカード会社にマイルを売る時、その対価は「即金(Cash)」で支払われる。
しかし、ユーザーがそのマイルを使って飛行機に乗るのは、半年後か、1年後か、あるいは永遠に来ないかもしれない。
つまり、航空会社はマイルを刷った瞬間にキャッシュ(売上)が手に入り、サービス提供(コスト発生)はずっと先延ばしにできる。
これは財務的に「無利子の資金調達(Float)」と同じだ。
ウォーレン・バフェットが保険会社を好む理由と同じロジックが、ここでも働いている。
「先に金を受け取り、サービスは後で(あるいは提供せずに)済む」。
これが、マイルビジネスが究極のキャッシュマシーンと呼ばれる所以だ。
[Deep Dive] 1マイルの生涯収支(Lifecycle Analysis)
では、具体的に航空会社はどれくらい儲かっているのか?
「1マイル」の一生を追ってみると、その異常な利益率が見えてくる。
- 売上 (Revenue):
航空会社は、銀行に1マイルを約2円 (2.0 cents) で売る。この時点で2円のキャッシュイン確定。 - コスト (Cost):
ユーザーがそのマイルを使って特典航空券を発券した時のコストはいくらか?
もし空席(どうせ空気を運ぶはずだった席)に乗せるなら、追加コスト(機内食や燃油の微増分)は約0.5円 (0.5 cents) 程度とされる。 - 利益 (Profit):
2.0円 – 0.5円 = 1.5円。
利益率 75%。
AppleのiPhoneでさえ利益率は30%〜40%程度だ。
「元手ほぼゼロのデジタル数字」を売って、原価の掛からない「空席」で回収する。
この「原価率の低さ」と「キャッシュフローの良さ(前払い)」こそが、ウォーレン・バフェットをはじめとする投資家たちが、航空会社(というよりマイレージ事業)に注目する真の理由である。
「コストコのロティサリーチキン」理論:航空事業はなぜ「撒き餌」なのか?
ここで一つの残酷な仮説が成り立つ。
アメリカの航空大手にとって、もはや航空事業(飛行機を飛ばして運賃をもらうビジネス)は、スーパーマーケットで言う「特売の卵」や、コストコの「ロティサリーチキン」に過ぎないのではないか?

コストコへ行ったことがある人なら分かるだろう。
あの丸焼きチキンは4.99ドル(日本では699円程度)で売られている。原価割れの赤字商品だ。
しかし、コストコは絶対に値上げしない。なぜなら、あのチキンを目当てに来店した客が、ついでにポテトチップスや巨大なテレビを買い、何より「年会費(メンバーシップ)」を払い続けてくれるからだ。
チキン単体で儲ける必要はない。「客を店に呼ぶための撒き餌(Loss Leader)」なのだから。
航空会社も全く同じ構造になった。
数百億円のB787型機。高騰するジェット燃料。パイロットの高給。
これら全てをかけて飛ばすフライトは、巨大な「空飛ぶロティサリーチキン」だ。
「ハワイに行ける」「ファーストクラスに乗れる」という夢(チキン)を見せることで、顧客を「マイレージ機能付きクレジットカード」という会員システム(コストコ)に加入させる。
そして、彼らが地上でコンビニやAmazonで決済するたびに、チャリンチャリンと航空会社に手数料が入る。
実際、コロナ禍で飛行機が全便欠航になっても(チキンが売り切れでも)、人々はAmazonで買い物をし、スーパーで決済を続けた。
つまり、「飛行機は止まっても、マイルの生成(=航空会社の真の収益)」は止まらなかったのだ。
これこそが、彼らが2020年を生き延びられたカラクリである。
[Column] デルタ航空スカイマイル:動的価格設定という「改悪」
しかし、マイルが「通貨」である以上、そこには「インフレ」のリスクがつきまとう。
発行しすぎれば、価値は下がる。
この冷徹な金融ロジックを最も早く導入したのが、皮肉にも最もマイルで成功しているデルタ航空だった。
彼らは2015年頃から段階的に「アワードチャート(必要マイル数の一覧表)」を廃止した。
かつては「日本ーハワイは往復40,000マイル」という固定相場だった。
しかし今の「スカイマイル」は、「ダイナミックプランニング(変動制)」だ。
航空券の現金価格が高ければ、必要マイル数も青天井に上がる。繁忙期のエコノミークラスが往復10万マイル、詳しく見ると「1マイル=1円」程度の価値にしかならないこともザラだ。
これは、中央銀行(デルタ)が、自国通貨(マイル)の価値をコントロールするために行った、事実上の「預金封鎖」であり「通貨切り下げ」だ。
金融商品化されたマイルの世界では、ユーザーはもはや「大切なお客様」ではない。「通貨の保有者」として、為替リスクに晒されているのだ。
日本への示唆:金融化する空

Data Box: 米国航空会社の収益構造の歪み (2019-2020)
| 項目 | デルタ航空 (Delta) | アメリカン航空 (American) | 備考 |
|---|---|---|---|
| ロイヤリティ部門利益 | 約60億ドル以上 | 約50億ドル規模 | 利益率50%超の高収益体質 |
| 航空輸送部門利益 | 変動大(赤字転落あり) | 万年赤字に近い構造 | 利益率低・リスク極大 |
| 時価総額に対する比率 | 約50%がマイル事業由来 | 100%超 (航空事業はマイナス価値) | 企業価値の源泉 |
数字は嘘をつかない。
アメリカの航空会社は、もはや「空運業」ではなく、「運送部門を持つ金融機関」だ。
飛行機は、金融商品(マイル)を売るための巨大な広告塔に過ぎない。
そして、これは「対岸の火事」ではない。
日本のJALやANAも、急速にこのモデルへ舵を切っている。
「JAL Life Status」や「ANA経済圏」という言葉が目立ち始めたのは、彼らも気づいたからだ。
「人を運ぶより、ポイントを運ぶ方が儲かる」という、資本主義のバグに。
だが、ここで一つの疑問が浮かぶ。
なぜ日本では、これほど露骨な「金融化」や「改悪」が進まず、いまだにマイルで(比較的容易に)特典航空券が取れ、あまつさえ「Suica」や「Amazonギフト券」に等価交換できてしまうのか?
次回、Vol.3。
舞台はいよいよ日本へ。
「なぜ日本だけが、世界でも稀な『マイルで買い物ができる』独自のガラパゴス進化を遂げたのか?」
ポイント好きの日本人と、現金の呪縛。そして鉄道会社(JR)という強力すぎるライバルの存在。
世界的に見ても異常な、しかし我々には天国のような、日本のマイル事情の謎を解き明かそう。
(続く)
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