【Vol.3】ガラパゴスの奇跡。なぜ日本だけが「マイルで大根」を買えるのか?新幹線と電子マネーの功罪


日本のネオン街とコンビニで買い物をするサラリーマン、サイバーパンク風
空の通貨で大根を買う国、ニッポン。

はじめに:世界が驚く「異常」な光景

もしあなたがアメリカ人のマイラーにこう言ったら、彼は絶句するだろう。
「昨日の晩ごはん、マイルで買ったコンビニおにぎりだったよ」

彼らにとって、マイルとは「飛行機に乗るための権利(航空通貨)」だ。精々がホテルの宿泊である。
それが日本では、Suicaにチャージして電車に乗り、Amazonギフト券に変えて電化製品を買い、あまつさえコンビニの大根や洗剤まで買えてしまう。

これは、世界的に見れば「通貨の未定義な流出」であり、異常事態だ。
なぜ日本だけが、このような独自の進化(ガラパゴス化)を遂げたのか?

Vol.3では、この「日本の奇跡」の構造を解剖する。
そこには、マイルを「ポイント」として飼い慣らした日本人の「現金信仰」と、空の王者を地上に引きずり下ろした「鉄の巨人」の存在があった。

最強のライバル「新幹線」:JRが航空会社を「マイル還元」に追い込んだ

アメリカには、実用的な長距離鉄道網が存在しない。
ニューヨークからシカゴへ行くには、飛行機に乗るしかない。だから航空会社は殿様商売ができた。

しかし日本には、世界最強の鉄道インフラ「新幹線」がある。
東京ー大阪。ビジネス需要のドル箱路線において、JALとANAはずっと苦戦を強いられてきた。

Data Box: 東京-大阪間のシェア戦争 (概算)

移動手段 シェア 特徴 武器
新幹線 (JR東海) 85% 予約不要、都心直結、本数圧倒的 「EX予約」の利便性
航空機 (JAL/ANA) 15% 保安検査あり、都心から遠い 「マイル」という還元

航空会社がこの巨人に勝つには、「移動の速さ」や「利便性」では不可能だった。
特にJR東海が「エクスプレス予約(EX-IC)」を導入し、チケットレスで乗れるようになってから、航空会社の劣勢は決定的になった。

そこで彼らが切ったカードが、「マイル(おまけ)」という非金銭的インセンティブだ。

「新幹線に乗っても何も貰えませんよ。でも飛行機なら、家族旅行のためのポイントが貯まります」
「出張で苦労した分、マイルで奥さんを沖縄に連れて行ってあげませんか?」

新幹線と飛行機の対比イメージ、シェア競争のグラフ
「便利さ」の新幹線、「お得」の飛行機。

この一点突破で、航空会社はビジネスマンを空港に呼び戻そうとした。
日本のマイルが、最初から「特典(Benefit)」としての側面、特に「家族への還元」「日常の楽しみ」と強く結びついたのは、JRというあまりに強すぎるライバルがいたからなのだ。
皮肉なことに、日本のマイル制度の充実ぶりは、JRの強さの裏返しでもある。

現金至上主義と「共通ポイント」:日本独自のポイ活文化

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ANAカード
ANAカード 旅の時間も、マイルも、あなたらしく積み重ねていく。ANAと歩む毎日を、今から始めませんか? A...

もう一つの特殊事情は、日本人の「現金信仰」と、それに付随する「ポイント好き」の国民性だ。

アメリカ人はクレジット(信用)で生きているが、日本人はキャッシュレス比率が低い。
クレジットカードの手数料ビジネスが、アメリカほど爆発的な利益を生まなかった。

その代わり、日本独自の進化を遂げたのが「共通ポイント文化(Tポイント、楽天ポイント、Ponta)」だ。
2003年のTポイント開始以降、日本人は「1円=1ポイント」というわかりやすい等価交換に慣れ親しんだ。

この土壌があったため、マイルもまた「航空券に変えるもの」というよりは、「1マイル=1円(あるいは1.5円)の価値があるポイントの一種」として認識された。
航空会社もこれに迎合した。

「飛行機に乗らなくてもいいから、とにかくマイルを貯めてくれ(そしてカードを使ってくれ)」
そのために、マイルをSuicaや楽天ポイントといった「地上の通貨」と相互交換可能にする道を選んだ。

JALカードSuicaの衝撃

その象徴が、「JALカードSuica」の誕生だ。
当初、JALとJR東日本は、東京-大阪で競合する犬猿の仲と思われていた。
しかし、JALは自社の顧客が新幹線に流れるのを食い止めるため、あえてJR東日本と「東京圏の移動」でタッグを組んだ。

SuicaペンギンとJALのロゴが融合したカードイメージ
昨日の敵は今日の友。呉越同舟のエコシステム。

「空でも陸でもマイルが貯まる」
このメッセージは強烈だった。
本来、航空会社にとって「マイルの現金化(他社ポイントへの流出)」は、自社のエコシステムから客が逃げることを意味する。
しかし、日本では「ポイントとして使えないマイルは価値がない」と見なされるリスクの方が高かった。
結果、世界でも類を見ない「マイルとお金の境界線が溶けた国」が誕生したのである。

メンタル・アカウンティング:なぜビジネスクラスより「大根」を選ぶのか?

ここで、心理学の話をしよう。
なぜ日本人は、1マイル=1円という不利なレートでも、喜んでSuicaやAmazonギフト券に変えるのか?
そこには「メンタル・アカウンティング(心の家計簿)」の罠がある。

ノーベル経済学賞受賞者であるリチャード・セイラーが提唱したこの概念は、人々がお金を「心の口座」に分類し、その口座ごとに異なる消費行動をとることを説明する。
例えば、以下のような違いが生じる。

  • 労働で得た給与(1万円): 「生活費」や「貯蓄」の口座に入れられ、大切に使おうとする。無駄遣いは避け、合理的な消費を心がける。
  • 棚ぼたで得たマイル(1万マイル): 「臨時収入」や「娯楽費」の口座に入れられ、「あぶく銭」として雑に扱ってしまう傾向がある。

経済学的にはどちらも同じ価値だが、人間の脳はそう認識しない。
「タダで貰ったものだから、タダで使っても損はない」
そう思い込んで、本来なら国際線ビジネスクラス(1マイル=5円以上)で使うべき虎の子のマイルを、コンビニのおにぎり(1マイル=1円)に変えてしまう。

価値のパラドックス

  • マイル本来の価値: 国際線ビジネスクラスで使うと 1マイル=5円〜10円
  • Suica/Amazon交換: 電子マネー化すると 1マイル=1.0円(※Suicaへの交換はJALカードSuica等の提携カード会員限定)

日本人の恐ろしいところは、この「1円利用」の選択肢を平然と選ぶことだ。
本来、金の延べ棒(マイル)で大根を買うような行為である。経済合理性で言えば「大損」だ。

しかし、航空会社にとってこれほど「美味しい客」はいない。

  • 負債の消滅: 1マイル(引当金2円相当)を、1円の支払いで消せる(差額は利益!)。
  • 空席の確保: 特典航空券を使わないので、その席を現金客に売れる。

日本特有の「マイルで買い物」システムは、「金融リテラシーの低いユーザーが、航空会社の利益に貢献する」ための、美しくも残酷な焼却炉(Incinerator)として機能している。

「ゼロ円の魔力」:無料という名の強力な誘惑

さらに、この非合理な消費行動を加速させるのが、行動経済学者ダン・アリエリーが提唱した「ゼロ価格効果(Zero Price Effect)」だ。
人間は「無料(タダ)」という言葉を聞くと、ドーパミンが放出され、判断能力が曇る。

例えば、以下の二つの選択肢があったとする。

  • A: 10万円の商品券を、2万円で買う(8万円の得)
  • B: 1,000円の商品券を、無料で貰う(1,000円の得)

冷静に計算すればAの方が圧倒的に得だ。しかし、多くの人はBを選んでしまう。
「1円も払わなくていい」という安心感が、8万円の利益という機会損失を覆い隠してしまうのだ。

マイルの使用においても同じことが起きる。
航空券の発券には、実は「燃油サーチャージ」「空港税」という名の現金出費(数万円)が伴うことが多い。

一方で、Suica交換(提携カード保有時)やAmazonギフト券は、追加の現金出費がゼロだ。

「ビジネスクラスに乗るには、マイル以外に現金5万円が必要です」
「Amazonギフト券なら、現金は1円もかかりません」

この瞬間、脳内のスイッチが切り替わる。
「現金を払いたくない」という強力なバイアスが働き、せっかくの1マイル=10円の価値を捨てて、1マイル=1円のAmazonギフト券(ただし現金出費ゼロ)を選んでしまう。

ガラパゴスの終焉:JAL Life Statusが告げる「遊び」の終わり

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しかし、このガラパゴス天国にも終わりの足音が聞こえている。
「JAL Life Status」の導入だ。

2024年、JALはステータス制度を一新した。
これまでの「たくさん飛んだ人が偉い(JGC)」という基準に加え、「カード決済や住宅ローン契約」など、生活すべてでJAL経済圏に貢献した人を評価する仕組みに変えた。

これは、明らかに「アメリカ型(Vol.2の空飛ぶ銀行モデル)」へのシフトだ。
ANAも「ANA Pocket」や「ANA Pay」で同様の経済圏囲い込みを急いでいる。

「地上で買い物ができる便利さ」は残しつつ、裏側のロジックは徐々に「金額ベース(Spend-based)」の冷徹な世界へと移行しつつある。
我々は今、ガラパゴスのぬるま湯から、世界標準の荒波へと放り出されようとしているのだ。

まとめ:我々はどう生きるべきか

日本のマイル環境は、世界でも稀に見る「ボーナスステージ」にある。

  • 新幹線のおかげで、国内線の特典枠は比較的取りやすい(競合がいるから)。
  • ポイント文化のおかげで、マイルの逃げ道(現金化)が無数にある。

しかし、この楽園は永続しない。
航空会社が本気で「アメリカ型」を目指した時、Suicaへの等価交換レートは改悪され、特典航空券の必要マイル数は変動制(インフレ)になるだろう。

だからこそ、今だ。
まだシステムが歪んでいる今のうちに、この「1マイル=10円」にも「1マイル=1円」にもなる不思議な通貨を、骨の髄まで使い倒さなければならない。
少なくとも、「Suicaに変えればいいや」と安易に考えるのではなく、「どこで使えば10円になるか?」を必死に考えること。それが、このガラパゴス市場で生き残る唯一の道だ。

次回、Vol.4。
いよいよ個別の航空会社分析に入る。
まずはJAL(日本航空)
なぜ彼らは、絶対的なステータスだった「JGC」の門戸を閉ざし、富裕層向けの「生涯ステータス」へと舵を切ったのか?
そこには、日本の階級社会化を見据えた、恐るべき生存戦略があった。

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